ノルウェイの森

村上春樹原作。
トラン・アン・ユン監督。
松山ケンイチ菊池凛子ほか。

人生は喪失の連続である。
失うことが目的であると言っても言いすぎではない。
しかも、生まれ変わる、とか新たに始まる、とかいった類のものではなく、もっと絶望的で、救いようのない喪失。
だからこそ、悲しみや苦しみ、悩みから僕たちが解放されることもないし、最大の喪失である死ぬことさえも、特別なことではない。
その現実に、瑞々しくも、もだえ苦しむ若者の姿を、独特の感覚で描ききった映画でした。

原作を愛するがゆえに、しょうもないものは作れない、というリスペクトの気持ちがにじみ出ていて、そして、トラン監督が持つ作品の解釈というものを見事に提示していました。
見終わって、1時間後、じんわりと、心の深いところからなんともいえない想いがこみ上げてくる、そんな映画です。

この作品の最大の成功は、松山ケンイチを主演にしたことじゃないでしょうか。
何かに憑かれたような存在感や、目の奥に潜む確固たる信念と現代的な弱さ、という相反する性格が同居している不思議な魅力が、いい味出してました。シーンごとに、顔が別人になります、彼。

それにしても、原作「ノルウェイの森」を彩る数々の名ゼリフは、作品中では、これ以上なく鮮やかに輝いているのに、音にしてしまうと、とたんにリアリティを失い、その輝きは褪せてしまうよう。
これらのセリフをどのように受け止め、音にするか、という作業は、映画を作る人のセンスであり、最大の仕事なんだろうけど、たとえば、

「私、あなたの喋り方、好きよ」

緑の名ゼリフ(読んでない人にとってはさっぱりわからないでしょうが)。
この文章に、どのような音を与えるか。
「それしかないんじゃないか!」と言えるかどうかは別にして、考えに考え抜いたんだ、というのが伝わってくる、約2時間。
パーツを見るのではなく、俯瞰で映画全体を思い返したときに、背骨のように一貫するメッセージが見えるような、重厚な、いい映画でした。
ここ数週間、楽しみすぎて下痢気味な毎日を過ごして、待ちわびた甲斐がありました。